日常から野球が消えて早数週間。本来なら一喜一憂に身悶えつつも幸せな日々を過ごしているはずの春なのに、社会は“緊急事態宣言”だの“首都封鎖”だの物騒な言葉で埋め尽くされてしまった。いつ終わるとも知れない未知なる敵との戦いにいい加減うんざりしている方も少なくないだろう。
というわけで当ブログでは、少しでも読者の皆様に“日常”を感じて頂きたく、過去の中日ドラゴンズの試合の中からランダムにピックアップした1試合に焦点を当てて振り返ってみたいと思う。
題して「ある日のドラゴンズ」。誰も憶えていない、なんなら選手本人も憶えていないような、メモリアルでもなんでもない「ある日」の試合を通して、平和の尊さを噛みしめようではないか。
1987年8月8日vs巨人18回戦

球界の定説として、本拠地での引き分けは負けに等しくビジターなら勝ちに等しいと言われる。しかしこの夜に起こった土壇場からのナゴヤ劇場は、“限りなく勝ちに等しい引き分け”と評しても差し支えないだろう。
一時は2点差をつけられたが7回裏に2死から死球とエラーでチャンスを作り、代打の川又米利、仁村徹の連続タイムリーで追いついた。これで流れは中日に傾いたかに思われたが、8回表に登場した郭源治が誤算で、再び1点のリードを許してしまう。
迎えた9回裏は絶体絶命の2死二塁。打席には先ほど同点打を放った仁村。打者転向2年目、まだ中日ファンくらいしか存在を認知していないような若者が、この場面でデカい仕事をやってのけた。鹿取義隆の勝負球を食らいつくように振り抜くと、打球は左前に弾んだ。真夏の夜のナゴヤ球場には紙吹雪が舞い、スタンドを埋めた超満員のファンは狂喜乱舞の大騒ぎ。「あいつはよう頑張った。気迫がこっちまで伝わってきたもんな」。星野監督も手放しで絶賛する、まさに気迫の一打だった。
土壇場で振り出しに戻した試合を、絶対に落とすわけにはいかない。延長10回表には明日先発が予定されている江本晃一を送りこむスクランブル継投。星野のこの試合に懸ける並々ならぬ執念が伝わってくる。江本が1イニングを無失点で抑えると、星野は「ようやったぞ、こいつ」とベンチを飛び出して握手で出迎えた。結局その裏の攻撃は三者凡退で時間切れ引き分けに終わったが、試合後の星野はまるで勝ったかのように興奮気味にまくし立てた。
「完璧な負けゲームだったな。そいつを追いついたんだ。今日だけは、その執念を俺も感じた。デカいドローだ!」
さらに3.5差で据え置きとなったゲーム差について問われると「負けなかっただけで十分だ。ハハハ、今日はしゃーないとするか!」と上機嫌に締めくくった。いかにも敗色濃厚を追いついた充実ぶりがうかがい知れる、味わいの深いコメントである。
困った! 明日の先発がいない
執念といえば聞こえはいいが、目先の事だけ考えた無謀な采配とも言い換えられる。何しろ翌日の先発をリリーフで使ってしまったのだ。戦後すぐの野球じゃあるまいし、分業制がある程度根付きつつあった当時の状況からすればあまりにも向こう見ずな継投と言わざるを得ない。
おまけにただでさえ暑い夏、この試合は6連戦の5試合め。連日の接戦でブルペンは疲弊しきっており、元気に先発を任せられる投手などいるわけもない。4日に6イニングを投げた鈴木孝政を中4日でいかせるか、あるいは江本をムリ承知で酷使するか。そんな中で、密かに囁かれている説がある。ドラフト1位ルーキーの近藤真一、同3位の西村英嗣。この日登録されたばかりのフレッシュな2人の大抜擢だ。
敢えて苦しいこの時期に昇格したのも「ひょっとしたら」を想定してではないか--。ネット裏ではこんな噂がちらほら聞こえたようだが、星野は「待望の昇格? どこかじゃ」と一笑に付した。しかしサプライズを好む闘将のこと、何を仕掛けても不思議ではない。3回裏には初めてブルペンで30球のピッチング練習を経験した近藤は「デビュー? できたらいいですよね。巨人を倒したいですから、やってみたい」とまんざらでもなさそうに笑った。
ドラマチックな同点劇で負け試合をドローに持ち込み、ここまで6連戦は3勝2分と土つかず。さあラスト1戦はどんなミラクルが待っているのか。プレーボールは18時20分。そのときナゴヤ球場のまっさらなマウンドに立っているのは果たして--。
1987.8.8 △中日4-4巨人