ちうにちを考える

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松坂大輔に伝えたい言葉

松坂大輔の退団が波紋を呼んでいる。

4日、加藤球団代表との会談で意向を伝え、球団側の慰留も虚しく正式に退団が決定。2年間の「中日・松坂」に終止符が打たれた。

悩みに悩み、一旦は大幅減俸を受け入れて残留濃厚との報道も出たが、1日に発表された森繁和SD、友利結国際渉外担当の退団で「僕もいちゃいけない」と意志を固めたのだという。ソフトバンクを解雇され、路頭に迷いかけていたところに救いの手を差し伸べた旧知の恩人と“心中”した格好だ。

周囲の猛反対を押し切る形で森監督(当時)、デニー氏が瀕死の怪物を招き入れて約2年。当初はその獲得に懐疑的な反応が大勢を占めていたが、蓋を開けてみれば2018年シーズンは11度の先発登板ながらチームで二番目に多い6勝をあげ、特に得点圏では被打率.169という驚異的な粘り強さを発揮するなど大ベテランらしい投球は若手の多い中日投手陣に大きな刺激を与えた。

また興行面での多大な貢献にも触れなくてはなるまい。初参加となった沖縄キャンプでは松坂グッズだけで球団史上初の1億円以上を売り上げ、宿泊費や飲食費などに伴う経済効果は前年比で倍以上の数値を叩き出した。

シーズンに入っても松坂が登板する本拠地ゲームはチケットがほぼ完売。閑古鳥の鳴いていたナゴヤドームが8年ぶりに1試合動員数平均3万人を超えたのも“松坂効果”によるところが大きいのは明らかだ。

 

怪物の光と陰

 

まさに死の淵から生還を果たした2018年。更なる完全復活を期して臨んだ今季だったが、春先から思わぬ不運に見舞われた。キャンプ序盤の2月8日、グリーンカード取得のための一時渡米から帰国した松坂は大挙して押し寄せたファンと接触した際に右肩痛を発症。当初は「開幕アウト」程度の見立てだったが、これが予想外に長引き、結果的にシーズンをほぼ棒に振る形になった。

さらに思わぬスキャンダルも怪物を襲う。5月、チームの練習日に日本テレビの上重聡アナウンサーらと千葉県内でゴルフに興じていたことが報じられ、これが「サボり」だと批判に晒された。球団もペナルティを課して一応は収束したものの、今季二度目の登板となった7月27日のDeNA戦で1イニングもたず8失点KOを食らうと、再び“ゴルフ事件”を蒸し返され、結局このあと一度も登板することなく今回の退団に至った。

 

破格の特別待遇も……

 

激動の2年間を経て、“救世主”から“わがままなヒール”へと評価が急転してしまった松坂に対して厳しい声があがっている。決定打となったのが、5日未明に「THE PAGE」に掲載されたこの記事だ。

headlines.yahoo.co.jp

Yahoo!ニュースに配信される影響力の大きな記事が公然と批判すれば、世論も“アンチ松坂”に靡(なび)くのは避けられない。ネット上では曖昧な態度で中日球団を翻弄した松坂へのシビアなバッシングが飛び交っている。

不甲斐ない成績と軽率な行動に加えて、明らかな特別扱いも反感を買う一因だろう。2018年に一軍最低保証額の1,500万円で入団した松坂はそのオフ、55.1回6勝4敗の成績で前年比5倍以上となる8,000万円の契約を勝ち取った。他の選手が同程度の成績を残してもまずこれだけの大幅アップは望めない、まさに破格の待遇と言えよう。

さらに球団は、松坂の象徴でもある背番号「18」も惜しみなく与えた。個人的には「中日・松坂」は「99」で通してほしい気持ちもあったが、球団としては背番号を変えることでグッズの買い足し需要を見込んだ側面もあるだろう。

 

これもまた松坂の魅力

 

これだけの待遇を施しながら、結果的に松坂は期待を大きく裏切ってしまった。そこにきてゴルフ事件、そして退団をめぐるゴタゴタが重なり、イメージが激しく悪化したのは自業自得かもしれない。

だが、それでも私が松坂に憎しみを抱くことはできないのは、こうした決して褒められない軽率さもひっくるめて松坂大輔という選手の魅力だと思うからだ。

1999年の西武入団以来、松坂は安定していた時期の方がめずらしいほど、毎年のように良くも悪くも話題を振りまいた。2年目に起こした替え玉出頭事件、評判の悪かった金髪(時代のトレンドではあったが)、メジャーでの栄光と挫折、ソフトバンクでの苦難……。思えば松坂はいつも激動のなかにいた。そして、どんな状況でもあの少年のようなはにかんだ笑顔をみせ、マウンドに立てば誰よりも輝き、ファンを魅了した。スターってのはこういう選手のことを言うんだなと、これだけ感じさせてくれる選手もなかなかいない。

優等生とは言い難い、だけどなんか放っておけない。今に始まったわけではなく、松坂はいつだってこんな調子で球界を渡り歩いてきたのだ。

 

松坂が中日に遺したもの

 

そもそもが期待値ゼロから始まった「中日・松坂」である。思いのほか活躍し、球団収益にも貢献した時点で元は取れているし、不甲斐ない結果に終わった今年だって、柳裕也や梅津晃大に有益なアドバイスを与え、飛躍に繋がったことが彼ら自身の言葉で語られている。

昨季は松坂の手を借りなければ回らなかった先発ローテも、若手達の台頭により十分な頭数が揃いつつある。そこに松坂が割って入る余地がないのは紛れもない事実だが、松坂がいたからこそ若手が成長できたのも、また事実だ。来季、エース級の活躍が期待される小笠原慎之介も松坂の指導で不振を脱出した一人である。

 5月下旬、転機が訪れた。

「リハビリ担当の方に勧められて、松坂(大輔)さんとキャッチボールをすることになったんです。以前もありましたが、今回はたくさん会話をしました。何を意識しているのか、今日の出来はどうなのか、とにかく質問しまくりでした」

 何度も肩を壊した経験がある右腕は無数の引き出しを惜しげもなく披露した。そして、ついに小笠原はヒントを得た。

「結局、腕が体から離れないこと。この1点を意識することに辿り着きました」

中日小笠原が怪我から復活できた理由 転機は松坂とのキャッチボール「全てが財産」 | Full-count | フルカウント ―野球・MLBの総合コラムサイト― - (2)

わずか2年の在籍ながら、松坂は間違いなく中日に有形無形の財産を遺した。

そして松坂自身は退団に際して「球団には感謝の思いしかありませんし、大した力も無い僕を一生懸命応援してくれたファンにも感謝の思いです」とコメントを残している。この松坂に対して、恨み節を吐くことなど私にはできない。

松坂大輔に伝えたい言葉は、ただひとつ。「ありがとう」、今はその一言だけで十分だ。