ちうにちを考える

中日ドラゴンズを浅く薄く考えます

選手とファンの距離感を考える

 

平成31年間を振り返って、やはり一番ダイナミックな変革はインターネットの普及だと思う。

それまで世界中に点在していた“個”がネットワークの充実によって線として繋がり、従来は自己完結していたような内向きの趣味も不特定多数の同志と共有・共感することでそこからファン主体の新たな価値観が創出されるという現象。メディア主導で文化が生み出されていた「1995年以前」にはあまり無かった光景だ。

またネットワークは一般人と有名人との距離も縮めた。歩み寄ってきたのは有名人側だ。それまではテレビの向こう側の遠い存在だった有名人が個人のホームページ等で発信する「素の声」は、メディア向けに加工された作り物のコメントに慣れきっていたオーディエンスの心を掴んだ。

ちなみに中日の選手で初めて個人ホームページを開設したのは当時リリーフとして活躍していた大塔正明(時期不詳)。それに感化される形で凝り性の山本昌が後に続き、1996年には星野監督が「HOSHINO☆EXPRESS」を開設。試合後に星野監督がありのままの本音を綴るこのサイトは当時としては異例のアクセス数を叩き出し書籍化もされた。

 

今だったら試合後に現役監督がコラムを更新するなんてあり得ない話だ

 

まだネット周りの言論に関して寛容な時代だったんだね

星野仙一のインターネット熱闘譜

星野仙一のインターネット熱闘譜

 

 

選手がファンにサインや握手をしなければいけない義務はない

 

インターネットを利用してファンと双方向のコミュニケーションを図る有名人が増えるにつれ、有名人と一般人を隔てる分厚い壁はレオパレスの壁程度の薄さにまでなった。壁の向こうの神様のような存在だった憧れのスター達が手の届く距離にまで歩み寄ってきてくれたのだ。

そうなると今度はファン側が物理的な距離感を縮めることを欲するようになる。最もラディカルにそれを実現したのがアイドル業界であることは言うまでもないが、プロ野球界もまた2004年に起きた球界再編騒動を機にサイン会や握手会の頻度が格段に増え、やがてそれが「当たり前のファンサービス」という認識にまでなった。拝めるだけでもありがたかったはずの神様が、対話できるようになり、触れるようになり、挙句の果てにはサインを貰えなかったファンが選手の聞こえる距離で悪態をつくこともあるという。

本来、選手がファンにサインや握手をしなければいけない義務はないし、ファンもそのような権利を必ずしも有しているわけではない。あくまで選手からの「サービス」であり、言い換えれば「厚意」であることを履き違えてはならない。「文春野球」等でお馴染みのドラゴンズライター・竹内茂喜さんのツイートが言い得て妙だったので引用してみる。

 

 

かつては野球選手からサインを貰いに行くのは飛び込み営業のような緊張感があったものだ。星野監督は親の陰に隠れてサインをせがむ子供を見つけると「欲しければ自分で頼みにこい!」と叱りつけたという。今なら「傲慢な星野がファンの子供を怒鳴りつけた!」とかいって炎上しかねない話である。

 

選手とファンの距離感を今一度見直す時期か

 

「いま会えるアイドル」ならぬ「いま会える野球選手」とでも言うべきか、2月に沖縄に行けばどんな選手のサインでも比較的容易に手に入るようになった。そして今回、その手軽さがネット転売を生み、さらに松坂大輔の負傷という最悪の事態を招いてしまった。それでもファンサービス中止にまで踏み切れなかったのは、一度始めてしまったサービスを止めたらファンが離れるという恐怖心があるからだろう。

だが思いの外、ネットでのファンの反応は「止めるべき」が多数派を占めている。サインはいらないから選手を守ってあげて欲しいという思いやりの方が優っているのだ。今まで散々ファンが選手の厚意を享受してきたように、今度ばかりは球団がファンの厚意に甘えてみてもいいのではないだろうか。

 

距離が近づいた分、かつての昭和のスターのようなカリスマ性、禍々しさみたいなものを今の有名人からは感じにくくなっている。良い面もあるが、もう少しスターは手の届かないところにいて欲しい気もする。これを機に、今一度選手とファンの距離感を見直す時期にきているのかもしれない。