ちうにちを考える

中日ドラゴンズを浅く薄く考えます

井端復帰と内海移籍で考える家族という呪い

 

俺たちの井端が帰ってきた!

先日東海ラジオの解説就任が発表された井端弘和氏が今度は中スポの評論家に就任する事が分かった。2013年オフの移籍以来、すっかり巨人の人と化した井端。辞め方が辞め方なだけにもう二度と中日に戻ってくる事はないのかなと勝手に思ったりしていたのだが、あくまで井端は同世代のスター・高橋由伸に忠誠を誓っていたに過ぎず、それさえ無くなれば巨人に留まる義理はないというサバサバした感じ。実に井端らしくていいじゃないか。

かくして入団から16年在籍した家族同然の中日閥に復帰した井端に流れるのは紛う事なきドラゴンズブルーの血に違いない。

 

「今ここで切ってみるか?」

 

どっかで聞いたセリフ、やめなさい

 

内海の巨人復帰前提のコメントに違和感しかない

 

近年「ヘレディタリー継承」「万引き家族」など“家族”という普遍的な概念の裏にある負の側面に着目した映画が世界中で公開されている。昔から家族といえば支え合うもの、絆で結ばれているものという固定観念があるが、それはあくまで恵まれた境遇の人達の話に過ぎず、そうではない人達からすれば家族ほど厄介な呪縛はなかったりもする。

小学生のころ、家族に手紙を書こうだとかお母さんに自分が赤ちゃんだった時の話を聞いてみようだとかいう授業や宿題があって、なんでこんな事をやらされなければならないのかと疑問に感じたものだが、今思えば小学生の頃から家族の尊さを植え付けようといういかにも文科省が考えそうな事だ。これ家族仲が悪い家庭の子供からしたら相当しんどかったのではないだろうか。

昭和の歌姫・山口百恵が壮絶な家庭環境で育ったのは自叙伝「蒼い時」で明かした事もあり有名な話だ。大人の事情でいわゆる“普通の家庭”で育つことができなかった少女がスターへの階段を駆け上り、かつて自分と母親を捨てた父親に対して手切れ金を渡して絶縁したというエピソードに関して、当時親不孝者というバッシングに曝されたという。どんなにひどい目に遭っても家族というだけで絆を強要される窮屈さ。家族とは文字通り切っても切れない呪いにもなり得るのだ。

 

話が横道に逸れたが、内海哲也が人的補償で西武に移籍する事になった。36歳で上がり目がないとは言え、通算勝利数131は江川卓に次ぐ球団歴代11位。実に6度の優勝にも貢献したバリバリのレジェンドである。その内海がまさかこんな形で移籍するなんて。当初は同情心が沸いたものの、内海本人のコメントを目にしてすぐに冷めた。

ひと回りもふた回りも大きくなってジャイアンツに戻ってこられるようにしたい

順調にいけば来年オフにはFA権を取得して即効の復帰も可能。例え腰掛けのつもりでも、わざわざこんなコメントを出すのは西武に対してあまりに不誠実ではあるまいか。功労者なら何を言っても許されるのか。復帰前提とも捉えられかねないこのコメントには違和感しかない。

 

生え抜き=家族という呪い

 

日本のプロ野球は生え抜き信仰が根強く残っている。というか昔ほどトレードが行われなくなり、なおかつFAが球団愛を試す踏み絵になっているせいでますます生え抜きを優遇する風潮が強まっている。移籍が当たり前の海外に比べればいかにも前時代的な価値観だが、活発な移籍の実現にはまずファンの意識改革なくしてあり得ないだろう。

今回の内海の件にしても、「こんな事していたらファン離れが進む」といった意見がちらほら出ているようだ。丸が移籍を決めた際にも相変わらず丸を叩くカープファンはいた。家族同然の存在といえば聞こえはいいが、ひとたび移籍すると聞こえてくる「裏切り者」という文言は、まさに呪い的でもある。

 

個人的にはもっとトレードも活発になり、気軽にFA移籍もできるような球界になればいいと思っている。一方で井端の中日閥復帰に「おかえり!」と言ってしまう寄り添い方はまさに家族的で一見すれば温かさを感じる。と同時に巨人在籍時に一部で飛んでいた井端へのバッシングは同じく家族的価値観から生まれる呪いの側面といえる。

中日は特に生え抜きにこだわるきらいが強い球団だ。球団人事にもいちいち生え抜きか外様かのしがらみが絡んでくる。山﨑武司もしょっちゅう「生え抜きには球団愛がある」などと言っているが、球団愛などという抽象的な概念のために優秀な外様を外様という理由で敬遠するのはあまりにバカげている。

LGBTなど個の尊重が世界的規模で急速に拡大する中、家族のあり方も今後間違いなく変化していくだろう。生え抜きに対する過度な愛着はチームの停滞を生む危険性をはらむ。日本球界も1人の選手をあくまで家族ではなく選手として捉えるドライな視点が一般化すれば移籍の活発化が実現するはずだ。

FAで出て行く選手を叩いたり、移籍する前から戻ってくるのを前提にしたり、そんな帰属的な考えはもう古い。