ちうにちを考える

中日ドラゴンズを浅く薄く考えます

藤王アウトロー伝説

 

“アウトローな野球選手ってずいぶん減ったなあ”

映画「孤狼の血」を観てそんな事を思った。

昭和63年の広島を舞台にしたこの映画は一匹狼のアウトロー刑事・役所広司と新米の松坂桃李が、対立する二大暴力団の本格抗争を阻止すべく違法捜査も辞さずにヤクザに立ち向かうという内容で、往年の「仁義なき戦い」シリーズをもろに意識した作りからは“ヤクザ・特撮・時代劇”の復権に懸ける東映製作陣の本気がビシビシ伝わってきた。

 

実は東映という映画会社は興行面でライバルの東宝に大きく水をあけられて久しく、2017年の興行成績は東宝620億円に対してその6分の1の108億円と、完膚なきまでの敗北を喫している。

それもそのはず。ジブリ作品も「君の名は」も「シンゴジラ」も「ドラえもん」も「名探偵コナン」も、これと言ったヒット作はほぼ東宝の独占状態。一方の東映はというと、いまだに「仁義なき戦い」「極道の妻たち」といった往年の名作の印象が強く、新たな国民的ヒットを生み出せずにいる。

 

だが昭和時代、世の男たちは東映アウトローに憧れ、破天荒な生き方を選んだ者も大勢いた。特にプロ野球はその気が強く、パンチパーマ・金ネックレス・セカンドバッグでお馴染み「ザ・昭和のプロ野球選手」の出で立ちはそのまんま東映ヤクザ映画の世界観である。

時代は流れ、いつのまにか野球選手もスマートになり他球団の選手同士で食事に行くなどアウトローとは正反対の和気藹々とした雰囲気が当たり前になってしまった。昔を知るOBがこの傾向にしばしば苦言を呈すのは、野球界はもっとヒリヒリとした世界であって欲しいという願望からだろう。

かつてプロ野球とはヤクザの抗争に等しい“殺し殺され”の世界だったのだ。

 

平成が終わる今だからこそ、ダサくもあり味わい深くもある昭和アウトローの世界を振り返ってみよう。

 

ちうにち史上最凶アウトロー藤王伝説

 

根尾昂の背番号が「7」に決まり、「1」を熱望したファンが少なからず残念がる一方、ごく一部のオールドファンからはこんな声も漏れた。

「高卒がいきなり1番を背負うのは不吉だがね。藤王の二の舞になるでよ」

 

35年前、1983年のドラフト1位で指名された享栄高校の藤王康晴はアウトローを地で行く男だった。高校通算49本塁打、春の選抜で11打席連続出塁など輝かしい実績を引っさげて鳴り物入りで入団した藤王は、前々年までミスタードラゴンズ・高木守道が付けていた背番号1をいきなり背負うことになる。

だが周囲の並々ならぬ期待を受けてプロの門を叩いた天才左打者は、野球よりもアウトローの道を邁進してしまう。

 

2年目以降、当初持っていたはずの野球に対して前向きな姿勢が見られず、苦手の守備練習を避けているうちに打撃練習もおろそかにするようになった。

守備練習でさんざん注意された直後、反省もせずテレビゲームに興じる姿に「藤王はグラウンドで野球をやる資格がない」と憤る同僚選手さえいた。寮の門限破りに始まり、女性問題、酔ってケンカし前歯を2本折られ謹慎処分…。私生活の乱れはそのまま成績に直結した。

スポニチ 2008年1月8日

 

練習嫌いの女好き。10代で酒に溺れ、ある時には昇竜館が暴走族に取り囲まれたり、ヤクザの女に手を出してトラブルになる事もあった。

引退後には転職した佐川急便でセールスドライバーとして八面六臂の大活躍をしたらしいが、やはり本質はそう簡単に変わるはずもなく。2003年、深夜のコンビニで掃除をしていた店員に対し、「なんで俺がいるのに掃除するんだ」と因縁をつけて暴行。さらに後日、再び来店した際に店長から暴行の件を問いただされて逆上し、あえなく御用となった。

この時吐いた「俺は藤王だぞ!」の台詞は引退から10年以上経ってもかつての栄光が忘れられない元スターの悲哀を端的に表しており、映画ファンは名画「サンセット大通り」を思い出して涙したのだった。

 

知られざるドラフト前夜の無免許運転未遂

 

1983年11月21日、運命のドラフトを翌日に控えた藤王は柄にもなく極度の緊張で居ても立っても居られず、まだ免許を持っていないにも関わらず父親の車で気分転換のドライブへと出かけようとした。さすがに母親が止めて未遂に終わったが、この頃から藤王は破天荒だったのだ。

結局徒歩で散歩に出かけ、公衆電話で話した相手は当時付き合っていた彼女。

 

藤王の電話は長かった。終えて電話ボックスから出てきた藤王の言葉がまたおもしろかった。

「男が一番大切な時って、こんな時でしょ。こう言う時に呼び出しに応じないのは、ボクのこと愛していないからですかネ」

夜の12時に電話をして、今から出てこいということが普通の家庭の子女には無理なことが、藤王にはわからない。

「会いたいんですよネ、やりたいなァ」

こっちがドキッとするような言葉すら平気ではいた。

Number 112号 1984年11月20日

 

その後、2015年に矢場とんの硬式野球部の監督に就任して本格的な社会復帰ならびに球界復帰を果たしたかと思われたが、わずか一年で特に告知もなく退任。その後の消息は不明。

 

愛甲猛が野良犬だとか自称してキャンキャン吠えてるけど、藤王こそ真のアウトローだね

 

藤王に根尾の真面目さの1%でもあれば違った結果になってたんだろうな

 

 現在54歳。今日も名古屋のどこかでアウトローに生き続けている。