ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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甲斐拓也からみる捕手変遷と加藤匠馬

 

日本シリーズが終わって1週間が経った。諸所で日本シリーズの話題になると皆一様に触れるのが甲斐拓也の強肩、いわゆる“甲斐キャノン”についてだ。

終わってみれば甲斐は日本記録となる6度連続の盗塁阻止に成功したが、第1戦で上本崇司を刺したところから既に流れは来ていた。解説席の古田敦也がべた褒めし、ネットではGIFがバズった。さらに11月1日の日刊スポーツが一面で取り上げた事で甲斐キャノンは一躍トレンドとなった。

胴上げの瞬間にベンチにいた捕手が盗塁阻止のインパクトだけでシリーズMVPを掻っ攫うという史上初の珍事も含めて、今シリーズの主役はどう考えても甲斐だった。

 

甲斐は捕手の潮流を変え得る存在だ

 

たった一人の存在が価値観の潮流を変える事がある。プロ野球の歴史における捕手を紐解けば、元祖はやはり戦後初の三冠王・野村克也だろう。野村がその後の捕手に与えた影響は改めて語るまでもない。

その野村を起点として考えたとき、次に潮流を変えたのが1982年の日本シリーズMVP・中尾孝義(元中日、巨人)だ。従来のずんぐりむっくりな捕手像とは真反対のスマートで走れる中尾にはかなり女性ファンが多かったと聞く。故障により正捕手として活躍した期間は短かったが、中尾の存在があったからこそ次なるニュータイプ・古田敦也が生まれたと言っても過言ではない。

 

野村の寵愛を一身に受けた中尾の進化系である古田は、日陰者だった捕手というポジションを一気に花形へと押し上げた。落合博満と最終戦まで競って首位打者を獲得したシュアなバッティングのみならず、1994年に盗塁阻止率6割4分4厘を記録したほどの超強肩を持ち、さらにキャッチング技術、リード面、日本シリーズなどの大舞台での強さに至るまで、古田は捕手の資質を全て兼ね備えたスーパーキャッチャーだった。

ある意味、古田で完成したプロ野球の捕手像はその後、城島健司、阿部慎之助を経由して徐々に先細り、昨今は深刻な捕手難に各球団が苦しんでいる。昔に比べて投手の持ち球が劇的に増えたり、事細かな統計データが取れるようになったりと、情報量の増加で緻密になり過ぎたがゆえに打撃に比重を置けなくなってしまった事が原因だとの指摘もある。

 

そんな中での甲斐の登場は、まさに古田以来の捕手の潮流を変え得る存在だと言えよう。よく評論家の権藤博が「捕手なんてのは捕って盗塁を刺せさえすれば充分だ。リードなんて二の次」といったような事を語っているが、甲斐キャノンはまさにこれを体現したようなインパクトだった。

何しろセリーグ5チームが散々掻き回されてきたカープの“足”をたった一人で封じ込んでしまったのだ。本来、走塁・盗塁とは相手にプレッシャーをかけるものなのに、今シリーズではカープの俊足選手が一塁に出塁すると、逆に甲斐がプレッシャーをかけてカープが萎縮しているようにさえ見えた。

 

そしてにわかに中日の眠れる強肩捕手にも注目が集まっている

 

加藤匠馬は竜の甲斐になれるのか

 

谷繁元信が衰えを見せ始めた頃から中日はずっと生え抜き正捕手の育成を掲げているが、残念ながら未だにこれと言った成果は見えてこない。試合出場数だけなら松井雅人が一歩リードしているようにも感じるが、中村武志コーチが就任時に語った「横一線で勝てる捕手を育てる」という発言や、チーム捕手最多出場ながら現状維持に留まった契約更改をみれば球団からの松井雅の評価が高くないのは明白だ。

 

だがここにきて、甲斐の活躍によってにわかに注目を集めているのが4年目を終えた加藤匠馬だ。青学大からドラフト5位で入団した当初から加藤の評価は一貫して「異常な強肩」に関するものばかり。言いかえれば強肩以外の魅力に乏しく、ここまで一軍出場は僅か5試合、今季はプロ入り初めて未出場に終わったが、二軍では持ち味を生かして毎年4割前後の盗塁阻止率を記録している。

確かに二軍でさえ2割を切る打撃面は期待できないかもしれないが、それは一軍にいる松井雅、武山真吾、大野奨太、木下拓哉だって大差はない。同じくらいの打撃なら一芸に秀でた加藤を使ってみても面白いのではないだろうか。

強肩の再評価が始まり、首脳陣が一新された。このビッグウェーブに乗れるか否かは加藤次第だ。

 

伊東勤ほど盗塁阻止の重要性が身に染みて分かってる人もいない

 

首脳陣の一新といえばヘッドコーチの伊東勤にも触れておかねばならない。

実働22年で14回優勝、その大半で正捕手を務めた正真正銘の「勝てる捕手」だが、実は1998年の日本シリーズでは盗塁阻止を巡り苦い思いをしている。

 

36歳にして複数年契約を結んだこの年、球団は伊東への刺激剤としてFAでオリックスの中島聡を獲得。だが結局シーズン114試合でマスクを被った伊東は当然のごとく横浜との日本シリーズでも先発出場した。過去8度の日本一を知る名捕手にとって日本シリーズは特別な場所ではない。普段通りやれば勝てる。そう踏んだ東尾修監督だったが、38年振りの優勝という勢いに乗って臨む若いベイスターズに「普段通り」は通用しなかった。

 

東尾修監督は、伊東の肩を不安視したのもさることながら、リード面をも心配していた。

「ベテラン捕手になると、投手の一番いい球をというよりも、まず安全な球からと考えるようになる。投手の調子がいい時には、それも通用するが、シーズンの疲れで調子が落ちているシリーズなどは、それでは抑えきれない」

伊東はシリーズを占う一戦で、安全第一を考えた。主戦捕手としての責任感と経験が、余分な考えを大きくさせた。

「投手のその日一番いい球を探すのに、得意な球から投げさせて、グルグルまわしながらそれを見つける。でもその前に全部、いかれてしまったのだから、ゲームにまったくならなかったです」と伊東は振り返った。

「Number」457号(1998年11月5日)より

 

リード面の動揺が肩にも影響したのか、第1,2戦で合計6個の盗塁を許した伊東は所沢に移動してからの3戦目以降はスタメンを中嶋に譲り、二度と出番がないままベンチから横浜の日本一を見届けた。

6個の盗塁を刺した甲斐に対して6個の盗塁を許した伊東。日本シリーズで解説も務めた伊東の脳裏にはこの時の苦い思い出が蘇っていたかもしれない。

全盛期にはほぼ毎年3割以上の阻止率を記録した伊東の肩も晩年は4年連続で2割台に落ち込み、2003年限りで現役を退いた。

 

強肩の強みを知り尽くす伊東は加藤をどう見るのか。あるいは全く別の選手に白羽の矢を立てるのか。いずれにしても来季の大きな見所の一つが捕手育成である事は間違いない。