ちうにちを考える

中日ドラゴンズを浅く薄く考えます

落合に監督はやって欲しくない

激動の予感!大型人事が早くも始動!

 

巨人・高橋由伸監督の辞任が3日夜、(色んな意味で)電撃的に発表された。

後任はオーナー曰く「経験と実績がある人」で、中畑か川相かはたまた落合かと沸き立ったものの、4日朝に報知が一面で「原監督」と報じた事で他球団ファンのみならず巨人ファンも「なーんだ、つまんね」と感ずる無難な着地に落ち着いた。

困った時の藤田元司、困った時の原辰徳である。

 

 

一部のファンが渇望する第二次落合政権

 

由伸退任でまず中日ファンから話題に上ったのが井端弘和の動向だ。

引退の経緯が経緯だけに由伸無き巨人に留まる必然性もなく、また今なお中日ファンからの人気も根強いため、盟友・荒木雅博がコーチに就任するタイミングで連れ戻して「アライバコンビ」を復活させようという算段だ。

 

また一部では落合監督復帰を期待する向きもある。原と落合は2000年代に激闘を繰り広げたライバル関係にあるから、原が復帰なら落合も!と考えるのは自然の流れだ。

実績ある原監督のもとでおそらく強くなるであろう来季の巨人に今のままでは勝てない、落合監督じゃないと勝てないという意見もある。

 

そもそも落合の監督復帰を望む声は前々からちらほら見かけるけど、正直賛同はできない。

今の落合にかつてのようなカリスマ性を期待するのは酷だし、ちょっと厳しい言い方だけど懐古主義からの脱却こそが今の中日に必要な事だと思うからだ。

 

病気、老齢、家庭……落合を戦場に戻すのか

 

2012年8月、落合が倒れて救急搬送され、その後しばらく後遺症の顔面麻痺で顔が歪んでいたのを覚えているだろうか。

前年まで8年もの長期に渡って激しいストレスと戦い続けた落合監督の心身は、周りが思っていた以上に磨耗していたのだ。

2004年の就任時と2011年の退任時を見比べれば明らかだ。同じ人物とは思えないほど老け込んでいる。

 

ああ見えて繊細な人だからね。想像を絶するような苦労と努力があったんだね

 

仕事一筋の人が激務から解放された途端に倒れるのも時々聞く話だ。それだけ8年間ギリギリまで張り詰めて仕事していたんだろう

 

また落合博満といえば信子夫人と愛息福嗣くん。

セットで一つのような印象も強いパワフル家族だが、9個差の年上女房である信子夫人はもう74歳だ。

前回の監督時はナゴヤドームの客席にも現れるなど公私ともに落合を支えていたが、同じようにサポートする事はさすがに厳しいと思う。

 

福嗣くんもこの7年間で随分境遇が変わった。二人の子宝に恵まれ、自身も声優という意外な道で奮闘しているようだ。

父・博満と一緒に一般席でプロ野球や社会人野球を観戦したり、孫と嬉しそうに戯れたりする“父ちゃん、母ちゃん”の姿をTwitterで度々公開して反響を呼んでいる。

 

落合一家は今、初めて過ごす平穏で何気ない日常の中にいるのだ。

8年間、日々磨り減っていく父親を間近で見てきた福嗣くんはファンの「また中日の監督に」との声に対し、「自分は反対です」とはっきりと意思を示した。

健康体ならともかく病に倒れた身だ。次にユニフォームを着るときは文字どおり命を削りながらの闘いになるだろう。ようやく訪れた平穏を手放し、また冥府魔道の戦場に戻るなど賛同できるはずもない。

 

それでも頼まれれば引き受ける

 

落合博満は髪の芯から爪の先まで根っからの野球人だ。

チームを強くしてくれと頭を下げられ、目の前に契約書があれば承諾するのが野球人の性(さが)というもの。

現に昨年出演した「サンデーモーニング」では監督復帰について問われて「話があれば考えます」とまんざらでもない様子を見せている。この時に、あぁやっぱりこの人は野球人なんだな、戦場で死ねたら本望なんだなと強く感じた。

白井オーナーは先月「今回は落合は関係ない」と否定したが、あのタヌキの言うことだ。果たしてどこまで信用できるか分からない。

 

 

カリスマ依存体質からの脱却を!

 

中日球団のスタンスにも警鐘を鳴らしたい。

直近のキャッチフレーズは「原点回帰」「強竜再燃」。どちらも要するに落合監督時代への回帰を謳っており、さながら「日本を取り戻す」ならぬ「中日を取り戻す」といったところだ。

だが残念ながら過ぎ去りし栄光をいくら懐かしんでも同じ日が戻ってくるわけもなく。強くなるためには過去を振り払って前に進む未来志向こそが重要なのだ。

 

中日はかつて30年余りに渡ってカリスマ・星野仙一の統治下に置かれた歴史を持つ。星野が去ってもなお残る影響力を払拭したのが2003年秋にやって来た落合監督だった。

星野が第一次政権の時に採用したドジャースモデルのユニフォームを一新し、星野の息がかかったOBにも特別扱いを許さず、何よりも星野の象徴とも言える暴力を排除した。

こうしてチームは生まれ変わり、名古屋人は星野の呪縛から解放されたのだ。

 

だが時はたち、今の中日は落合依存に苛まれている。皮肉にも星野がそうであったように、本人の意思とは関係なく人々が落合の亡霊を追い求めているのだ。

落合監督待望論はまさに依存体質から脱却できていない事の表れと言える。

 

これではまた星野、落合に準ずる強烈なカリスマが現れない限りはこのチームの迷走は続くことになるだろう。カリスマに頼るのではなく自分たちの知恵と工夫で新しい時代を切り拓く。そういうチームに生まれ変わるべき時だ。

 

それを言うならジョイナスは新しい時代を切り拓こうとしたんじゃないのか?

 

あれは「落合以前の中日を取り戻す」って思惑だから結局は懐古主義なんだよ

 

 

最後に

 

落合監督の復帰を望むのはもちろん自由だ。かく言う私もその思いが1ミリも無いわけではない。

ただ、記憶に新しいところで仰木彬監督のような事もあるし、あの星野仙一でさえ早逝だったのは病と戦いながら66歳まで現場で指揮を執り続けた影響がゼロではないだろう。

 

落合博満という野球人が大好きだからこそ、命と引き換えに戦場に立つ“老将・落合”は見たくない。リビングで孫と遊びながら、たまにメディアに出てきて面白い話を聞かせてくれれば十分だ。

 

今の落合には戦場よりも家庭が似合う。